最初の基本的情報がいい加減で、業績の見通しなどに重大な誤りがあった場合は、彼らの対応はきびしい。
激しくクレームをつけてくるし、それによって損失を受けた場合は訴訟になの情報や投資アイディアの提供」をすれば、これに応じるべく、顧客は「注文を出し、手数料を落とす」。
契約書こそ存在しないが、シティにおける暗黙の契約である。
その代わり、契約違反ともいえる、間違った情報や質の低いアイディアには、きびしい対応をする。
きわめて明解で、さわやかなものだと私は思う。
このような態度は、シティの職場にも見られる。
たとえば、仕事中のひと休みに、コーヒーや紅茶を誰かが外に買いに行く時、「買って来て欲しいものはないか」と同僚に声をかける。
コーヒーや紅茶の代金は、外に買いに行く人が負担する習慣だ。
この時、声をかけられる同僚は、ふだんからそうした互助的な職場の習慣に参加している社員だけだ。
つまり、自分の飲み物を同僚に頼まない代わりに、自分が外に買いに出る時も、他人の飲み物は買って来ない社員には自然に声がかからなくなる。
仲間はずれでも意地悪でもない。
ごく自然に、相手の「そうした習慣に加わりたくない」という意思を尊重して、「ギブ.アンド.テイク」の原則が働いているのである。
それまでこの習慣に参加していなかった社員が、「コーヒーを買いに行くけど、何か買って来て欲しい人はいるか?」と声をかけたら、その人はその瞬間から、この職場のささやかな習慣の参加者と見なされる。
その声に応じて、「モカコーヒーを買って来てくれ」「私はミルクティ」などと注文を出した社員は、この次からお返しに、この社員に同じような声をかけるようになる。
これも、「ギブ.アンド.テイク」の原則である。
ドライといえばドライであるが、こういう簡潔な関係も良いのではないだろうか。
ひるがえって、今の日本や日本人を考えると、旧来の義理.人情どころか、こうした「ギブ.アンド.テイク」の義理堅ささえ存在するかどうか疑わしい。
自分の用のある時だけ、電話をして来て頼み事をするが、あとは知らん顔という人が増えている。
こういう手合いは、「ギブ.アンド.テイク」の精神すら持っていない。
日本人の伝統的な心配りというものは、経済のバブルが顕在化した80年代後半以降急速に失われたというのが私の実感だが、残念ながらその後、復元された様子はない。
だから、日本人が義理人情に厚い浪花節的民族で、欧米人は「ギブ.アンド.テイク」のドライな民族だとはいう考えは間違いである。
ステレオタイプの見方に惑わされた錯覚に過ぎない。
悲しいことだが、イギリス人の「ギブ.アンド.テイク」程の義理堅さを、現代の日本人が果たして持ち合わせているかどうか、私ははなはだ懐疑的である。
欧米の企業にはいわゆる生涯雇用という発想がない。
社員には長く働いて貰いたいが、事情によってはそれもかなわなくなることがある。
まず、社員に能力がない、とみなされた時である。
金融街のファンドマネジャー(顧客の資産を運用する)や、セールスマン(株式や債券の売買の注文を取る)やディーラー(銀行の自己資金を市場で運用する)など、直接会社の利益を稼ぎ出すプロフィットセンターの人々は、世間の水準よりはるかに高い収入を得ている一方で、成績があがらなければすぐにでも解雇されるリスクを負っている。
その過酷さは、日本のサラリーマンには想像出来ないだろう。
私の経験だが、前日まで陽気に冗談を飛ばしていた同僚が、次の日からオフィスに姿を見せなくなった。
「彼はどうしたのか?」と周囲の人たちに聞けば、突然解雇されたという。
事実、いくら営業成績があがっていても、会社の経営陣がその事業から撤退する、と決めてしまえば、担当部署の人員は全員解一展になる。
この場合、日本のように、他の部署に配置換えすることはまずない。
文字通りの「人員余剰」(○○)であり、厳密にはクビではない。
その部門の人たちは運が悪かったとあきらめざるを得ず、せいぜい人事部との交渉の場で、退職一時金などの条件を少しでも引き上げるため、努力を重ねるしかない。
成績不振で辞めざるを得ない場合は右の例と事情が異なるが、やはり形式上は、「人員余剰」の扱いになる。
このあたり、「武士の情け」といえないこともない。
ただ、業界の慣習であるから、シティの中で新たに職を探す時は、あまりごまかしはきかない。
「人員余剰」の扱いになっていようがいまいが、同じ業界のことでもあり、退職の本当の理由はすぐに分かつてしまう。
ところで、成績不振でなくとも、あるいは、企業がその部門から撤退しなくても、退職を余儀なくされるケースがある。
企業統合に伴う合理化の場合である。
誰あろうこの私自身が、その経験者である。
S首相時代に断行された金融ビッグバン以来、シティの歴史とはすなわち、買収による企業統合の歴史であった。
80年代から現在に至るまで、イギリスにおける金融機関の統合再編は続いており、最近はますます大型化している。
95年、私が勤務していた欧州系の銀行は、米系の投資銀行を買収し、両社は合併することになるのである。
イギリスだけでなく、世界中の金融界で企業の統合が続いている。
日本も例外ではない。
金融界だけでなく、あらゆる業界で、規模のメリットとより高い効率を求めて再編と統合が進められている。
時代の流れとはいえ、日本的な生涯雇用に慣れ切っていたサラリーマンには衝撃的な出来事だろう。
失職の衝撃とその後の不安に耐え切れず、自ら命を絶つ悲劇が後を絶たない。
あまりにも急速な環境の変化に、動転するなと言う方が無理であろう。
ロンドンのシティの連中は、いくつかの状況による失職は最初から覚悟しているから、そういう目にあっても、それほど悲観しない。
自分の能力さえしっかりしていれば何とか生きていけるだろう、と腹をくくっている。
そのようなたくましさが彼らにはある。
農耕民族型の日本人も、これからは彼らのような狩猟民族的な感覚を身につける必要があるだろう。
すなわち、ひとつの企業で長期間働くことだけに絶対的な価値を置かず、場合によっては、新しい環境で新しい仕事に挑むのも悪くもないし、恥ずかしいことではないと気づくことである。
その過渡期として今は、会社の名前や学歴とは無関係に、個人として世間に通用する専門分野での実力と、生かせる人脈のネットワークを構築出来るかどうかが、日本のサラリーマンにとって重大な課題になりつつある。
ひとつにはビザの心配があった。
最初の4年間は、労働ビザで働かざるを得ないのだが、この期間中に失業するとややこしいことになる。
労働ビザは、私個人が取得しているのではなく、雇用者である会社側が申請して、当局から発行してもらっているので、失業すればその時点から、労働ビザは無効になる。
このビザがないと転職もままならない。
労働ビザで4年間働けば、たいていの場合、永住ビザに切り替えられる。
このビザがあれば、就職には何の支障もない。
だから私は「早く4年経って欲しい」といつも願っていた。
過ぎてしまえば短いようにも感じるが、最初の4年が過ぎるまでは気が気ではなかった。
その頃の私の仕事は、日本株のセールスであった。
すでにバブルが崩壊して日本は不況の坂を転がり始めていた。
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